読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

故障まみれ

楽して楽しむ方法を模索しています

For Honor ウォーロードその2

さて、刀や斧で命を奪い合う戦場で過ごした時間もだいぶ経った今日この頃。何やら銃と大砲と戦車にまみれることができるバトルフィールドの方でも新マップ追加などあったらしいのでそちらをやっていきたいところだが、ひげを蓄えたポニーテールお茶目さんこと私、ウォーロードは今日も肉弾戦に精を出すわけであります。本当にウォーロード同士の対戦になることがなくて寂しいのであります。


For Honor ウォーロードで黙々とデュエル2

 

フォーオナー - PS4

フォーオナー - PS4

 

 

戦を統べるFor Honor

さて、相変わらずちまちまとフォーオナーをやっているところだが、今使っているのはウォーロード。これ、大蛇より使いやすくていいんだけれど、あまり使っている人を見かけないのが不思議なところであって、だって名前が格好いいではないか。ウォーロード。ウォー・ロード。戦の支配者。ロードオブザリングを指輪への道と勘違いする人がいるが、それはroadであって、正解はlordであるので、そのロードと同じウォーロード。ね、ほらカッコイイでしょう。お髭が固そうなところもまた良いのだ。なにせ盾を持っているから守りが堅いからお髭も固いのであろう。お茶目。そんなウォーロードでの戦い。


For Honor ウォーロードで黙々とデュエル

 

フォーオナー - PS4

フォーオナー - PS4

 

 

Horizon zero dawn実況アップロード

ついに発売されたHorizon zero dawn。

昨年の東京ゲームショウで映像を見て以来、やりたかったタイトルであるので、当然のように予約注文をしていたところ、なんと便利な世の中か。発売日の0時からプレイできるではないか。と驚き、事前ダウンロードを済ませておこうと思い、コントローラーを操作して出てきた文字にまた驚いた。残り時間7時間。およよ。仕方なく、発売日の晩方からおとなしくプレイしました。私は戦士だ。機械を狩って存在を証明するのだ。ほほほ。

 


【実況】初見プレイ horizon zero dawn #1

Horizon Zero Dawn 初回限定版 - PS4

Horizon Zero Dawn 初回限定版 - PS4

 

 

Youtube始めました

何をとち狂ったか分からないが、youtubeでゲーム実況を始めることにした。遠い過去にはピアキャスなんかを見て睡眠時間を削っていたころもあったので、他人のゲーム動画を見ること自体への抵抗感はなかったが、まさか自分が配信してしまうとは思ってもいなかった。お手軽な世の中になったものだ。

さて、とりあえずは最近やっているFor Honorをいくつかアップロードした。やれやれ。私はいったい何がしたいのだろう。楽をしたいという思いは変わっていない。楽をして、楽しみたい。

 


【実況】For Honor 大蛇で一周 #1

 

フォーオナー - PS4

フォーオナー - PS4

 

 

人間的欠陥

私は自分の無価値を嫌というほど認識しているが、それでも人並みな幸せのようなものに憧れている。無価値だからこそ価値があるとされるものへの憧憬。しかしそれは、例えは悪いが低位カーストが上位カーストの暮らしに憧れるようなものであって、決して叶うことがない。私がなぜ自分を無価値だと思うかというと、他人のことを慮ったり気遣いをしたりということができないからであって、できないというよりはこうしたらいいんじゃあないかと思うことはあってもそれを実行に移す事がほとんどないからであって、それはつまりやり方を知らないからできないのではなく、やり方は知っているけれどやらない。悪意の無作為である。

こんなだから他人からは人でなしと呼ばれたりもする。知らなければ習えば、教われば出来ようものが、知っていてやらないのだからこれはもう周囲からはどうしようもなく、本人がやる気にならない限りどうにもならない。となればやる気次第ではないか。なんと簡単な!と、思うものの、他人は私が親切にすることすら嫌がるのではないか。他により上手に親切にしてくれる人は沢山いて、私の考える親切などというものは糞にも劣るものであるからやらなくてもよい。と考えてしまい身体が動かない。そうして身勝手な行動ばかりが表出され、私は孤立していくのだ。全て自己責任であり、誰かを責めるわけではないが、この孤独に耐えきれるほど私は精神が丈夫ではないらしい。分かってほしいが分かってもらえないなんて、いつまでも引きずっている思春期である。成長を諦めるとこういうことになる。

自分の価値

私は自分の価値がないと思っている。価値とは色々基準があって初めて生まれてくるものだと思うが、あらゆる基準に照らしても価値がないと思っている。いつからかは分からないが、自分が無価値なために何をしても意味がなく、ただ消費していくだけの人生であるという認識なのだ。人が生きることに意味などないという考え方も嫌いではないが、というかそれを心からそう思えるようになりたいのだが、なかなかそうもいかず悶々としている。というのも意味がないのは自分が自分という人間であるからであって、他の人間は自分とは違うのだから何か意味があるのだと思うのだ。

そんなわけで、意味のない人間がする労働に価値があるわけもなく、何も生み出さないし何の貢献もない。そう思ってしまい、とりあえず目の前のことをなんとなくこなしているだけなのだ。なのに職場や社会ではやりがいだとかよりよい仕事内容だとかを求められ、不断の努力をしない奴、やる気のない奴は落伍者だと言われ蔑まれる。落伍者から脱しようとはしていないので仕方がないことなのだが。

働きたくない

私の職場では季節労働者的に忙しい時期があって、初夏のころと秋から冬にかけてのころがそうである。これらの時期は休みもなく毎日日付が変わるまで職場にこもり、ああでもないこうでもないとやっている。周りの人間も愚痴を言いながら顔色を悪くしながら働いている。だが、誰一人「辞めよう」とは言わないのである。なぜだろう。寝不足の身体と頭をやっとこさ動かして、パソコンの画面を睨み付けてまで働くことがそれほど必要なのだろうか。誰かを養ったりしなければいけない人は、生活のために働くことが必要だろうが、それにしたって身体を壊してしまえば元も子もない。今我慢すれば、先はきっと良くなるなんて、今がひどければ何の意味もない妄言だ。

生活のための生活を送るのではなく、生きている生活をするにはどうすればよいかを考える必要がある。まずは今の仕事を辞めることが可能だという考えを持つことだ。