故障まみれ

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人間的欠陥

私は自分の無価値を嫌というほど認識しているが、それでも人並みな幸せのようなものに憧れている。無価値だからこそ価値があるとされるものへの憧憬。しかしそれは、例えは悪いが低位カーストが上位カーストの暮らしに憧れるようなものであって、決して叶うことがない。私がなぜ自分を無価値だと思うかというと、他人のことを慮ったり気遣いをしたりということができないからであって、できないというよりはこうしたらいいんじゃあないかと思うことはあってもそれを実行に移す事がほとんどないからであって、それはつまりやり方を知らないからできないのではなく、やり方は知っているけれどやらない。悪意の無作為である。

こんなだから他人からは人でなしと呼ばれたりもする。知らなければ習えば、教われば出来ようものが、知っていてやらないのだからこれはもう周囲からはどうしようもなく、本人がやる気にならない限りどうにもならない。となればやる気次第ではないか。なんと簡単な!と、思うものの、他人は私が親切にすることすら嫌がるのではないか。他により上手に親切にしてくれる人は沢山いて、私の考える親切などというものは糞にも劣るものであるからやらなくてもよい。と考えてしまい身体が動かない。そうして身勝手な行動ばかりが表出され、私は孤立していくのだ。全て自己責任であり、誰かを責めるわけではないが、この孤独に耐えきれるほど私は精神が丈夫ではないらしい。分かってほしいが分かってもらえないなんて、いつまでも引きずっている思春期である。成長を諦めるとこういうことになる。